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【社会学】世界が内向的になっている気がする

あまり政治的なこと書くのって、ネットの熱めな人たちに熱めに詰められそうなので基本的には避けてるのですが、ツイッターとかよりも読者数の少ないブログの方が安心なのでひっそり書きます。

先に言っておきますが私は無宗教、支持政党なし、政治無関心層です。選挙行くのもめんどくさい、っていうかそれぞれの候補者とか政党の方針や政策を調べるのがめんどくさい。政治ニュースとかネットの書き込みとかは見るけど、ちゃんとソースを当たるのは面倒なのでやってないので、大いにバイアスがかかってたり誤認してる部分はあるかもしれません。悪しからず。

めんどくさいって話でいうと、選挙も政党とか候補者を選ぶんじゃなくて、やってほしいこと・やってほしくないことを選ぶ形になればいいのになって思う。だって人とか党とかって腹の底で何考えてるかわかんないし。誰でもいいから、やってほしいことを実現してくれればそれでいい。まぁそんなことはともかく。

 

 

アメリカでトランプ大統領が就任してからずいぶん経ちました。

私のSNS上のアメリカ人の知り合いは、この世の終わりみたいに落ち込んでたし、

本人が落ち込んでなくても「みんな、この世の終わりじゃないんだよ」「SNSで嘆いてばかりじゃなく、いつもみたいに家族や旅行の幸せそうな投稿を見せておくれ」みたいな投稿をしてて、私の知り合いのアメリカ人の、そのまた知り合いたちがこぞって落ち込んでいるんだろうなと想像できた。

あと好きなバンドが「僕らのライブ会場では、断じて、あらゆる人種・宗教・信条を歓迎するからね」みたいなメッセージをファンに向けて発信していた。

しばらく経っても未だにトランプを皮肉った投稿を見かけるし、よほどアメリカ人にはショッキングなことだったんだな、と思う。

 

聞いた話では、西海岸・東海岸の成熟している都市部はトランプに反対していて、中部の発展が緩く雇用の足りない田舎がトランプを支持したとか。自由や多様性という上位概念を求める声を、生活するための仕事と金がないと死ぬ、っていう切迫感が上回るのは想像に難くない。

トランプが「アメリカ・ファースト」を唱えるのを聞いて、私は「あ、アメリカはようやく『普通の国』になったんだな」と思った。

自分の国のことを考え、自分の国の国民のことを考え、自分の国のために行動する国。

 

これまでアメリカは、世界の理想だった。

世界の国々が、人々が、何を理想として何を目指していけばいいかを体現していた。

それは、自由で、差別がなく、平等にチャンスが与えられ、そのチャンスをつかんだものは富を手にすることができる自由主義、意志が等しく反映される民主主義社会。

世界最大のチャンスはニューヨークやロサンゼルスにあり、そこで勝ち進んでいったものはセレブリティとして世界中から憧れられる。

理想の国には全てがあり、理想の国の住民のセレブたちには世界から賞賛が浴びせられる。

 

なぜ、アメリカが理想の国となったか。

それはアメリカの歴史の浅さによると思う。

ヨーロッパやアジアには、数千年に渡る長い建国の歴史があった。その中で培われた国民性や伝統、主義、誇りがある。

そのヨーロッパを離れた人たちが作り上げたアメリカという国が国際社会で一目置かれるためには、それらの「歴史」に代わるものが必要だった。それが「未来」であり「理想」である。

歴史・伝統は、裏を返せばしがらみだらけの窮屈な社会だ。

新国アメリカは、そんな煩わしさから開放されて、誰もが誰にでもなれる世界になることにした。しがらみだらけのヨーロッパやアジアには絶対に真似できないから、羨望のまなざしで見られる。足かせに捉えられてチャレンジできないヨーロッパ・アジアを差し置いてアメリカはチャレンジできる。そして「あなたたちはしがらみによって実現できないが、理想とする国際社会ってこういう姿勢でしょ」と示すことができる。すると自国の歴史を愛する他の国々も「確かに、それが正しい未来だな」と頷く。アメリカの国際的な地位が確固たるものになる。

国際社会での存在感を示すために、アメリカは理想の国とならざるをえなかった。

 

アメリカが体現する「理想」を崩されてしまっては、アメリカの影響力がなくなる。

それが困るから、アメリカは必死になって自由主義・民主主義の正当性を守ろうとする。共産主義は悪だという世論を作り、実際に共産主義では国が倒れることを示すために他国の内紛に介入したりする。やっぱり民主主義が国民が求める理想の形なんだな、民主主義・自由主義が勝つんだな、とその度に世界の人々は思う。(学者の間では「共産主義は負けたけれども考え方自体は悪くない」という声も出ているらしいけど。)

 

そうやって、アメリカはいつも「理想の国」として他国に介入し、国際社会をリードしてきた。

国民の日々の生活や安定した暮らしには目もくれず、アメリカという国が輝かしく見えることをやってきた。

 

そしてそのピークが、オバマ大統領時代だったのだろう。

国際社会の自由と平等と平和を唱える者が、アメリカという国の大統領に君臨している。

理想の国・アメリカはここに、少なくとも現時点ではこれを超えられないほどの「理想」を完成してしまった。

それでもまだ解決しない問題は多く、「理想」があまねく全てを照らしてくれる光ではないことにも人々は気づいた。

 

アメリカはもう、そろそろ世界のことではなく、自分のことを考える頃合いなのだと思う。

「理想の国」にならなくても歴史ある国に引けを取らない国力を蓄え、歴史を蓄えた。自由とチャンスを求めて国を捨てた人が子供を育て、孫を持ち、アメリカに生まれて一生をアメリカで過ごす「アメリカ人」の世代が現れる。これまでは「チャンスが欲しければアメリカに来い、しかし勝っても負けても自己責任だ」と言えたけど、そんなリスクを背負った覚えのない生粋の「アメリカ人」たちにはそれが通用しない。アメリカにもしがらみが生まれたのだ。

そのしがらみは、自国に「理想の国」であることよりも、現実的に生き易い国であることを求める。

普通に、生まれて、一生を平穏無事に過ごせたらいいなって思う普通の人たちの、普通に幸せな暮らしを求める声が多数を占めるようになったのだ。

 

そう考えると、トランプは確かに奇抜で極端だけど、アメリカ人たちがこの世の終わりだと絶望するほどおかしなことが起こっているわけではなく、自然な成り行きのような気がする。

彼の大統領就任は、アメリカという国が世界のワンオブゼムとなった瞬間であり、理想を追い求めて連携していた国際社会が今一度、何で連携するのかを見つめ直す瞬間だったのではないか。

 

折しも、北朝鮮が存在感をアピールしたり、同時多発的に各国で「自分のこと」への立ち返りが始まっているかもしれない。

内向的に、内省的に。

日本国内にも内省的な流れがあると思う。働き方改革が始まって、経済成長よりも日々の暮らしの質を見直している。オリンピックが地元に来るという「理想のイベント」に対する興奮よりも、日本にとってのメリットや費用など現実目線で国民がツッコミを入れている。

どんどん変化("CHANGE")を起こすことよりも、自分の足元の大切なものを今一度見つめる。

打ち合わせの前の一人ブレストみたいな感じで、それは多分、必要な過程だ。

 

たいていの歴史は、一定周期で両極を揺れ動くものだという。

これまでも、国際連携に目を向けていた時期、自国に集中していた時期を行ったり来たりしていたのだとすれば、今は後者の時期が始まったのかもしれない。

 

最近ではトランプ大統領を解任するかどうかという話も出てきているし、どうなるか分からないけど。