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芳醇/豊潤 ・ 小説と漫画創作 ・ 本と映画レビュー ・ 初心者社会学

ラブレター 前編

「これって、絶対ヘンよ」
砂まみれにした手を振りかざして彼女は言った。
「これが土に埋めたタイムカプセルなら、こんな内容を書くはずないわ」
「でも、いつ誰が埋めたものかも僕らには分からないんだから。本人たちには何か理由があるのかも」
「そうかしら。こんなことって、あり得るかしら。私は、おかしいと思うの」
こう言い出した彼女が意見を曲げる可能性は限りなくゼロに近い。こんな時には、こちらが譲るのが一番だと、長年付き合ってきた経験から僕はもう分かっているのだ。そう、僕が「譲」という名を授かったのはこのためなのだ、こういう定めなのだ、だから今度も僕は譲ろう。「そうかもしれないね」


そもそも僕はこのうららかで心地よい日曜日の昼間に、何をしていたんだっけ、と思い出す。そうだ、洗濯機が鳴ったから洗濯物を干そう、と思ってソファから立ち上がったところだった。庭の隅をしげしげと眺める彼女に呼ばれて、洗濯物を後回しにしてつっかけを履いた時には、まさか隣の庭との境目のブナの木の根元から誰かのタイムカプセルが見つかるとは思ってもみなかったのだ。
築40年以上にもなるアパートなら、過去の住人たちが何を庭に隠していても不思議ではない。4部屋ある1階の庭は一続きになっており、その境目は「なんとなく」暗黙の合意の上で引かれているので、そもそもこのブナの木の位置が、我が庭なのか、隣人の庭に属するのかも定かではなかった。その隣人とも、顔を見れば挨拶を交わす程度の付き合いだ。
果たして、庭の掃除をしていた彼女が掘り当てたのは、大振りなジャム瓶に詰められた2通の手紙であった。


彼女と、呼び出された僕とで、2通の手紙を手分けして読んだ。勝手に人のタイムカプセルを暴いた挙げ句、個人的な手記を読むことに僕の胸は痛んだが、彼女にせかされるままに封筒を開いてしまった。
ある恋人同士の、片方は女性が、もう片方は男性が書いたものらしい。
でもそれはラブレターではなかった。
女性側の手紙の内容は、それはもうひどいものだった。相手を口汚くののしり、あのデートの映画のチョイスは最悪だっただの、誕生日プレゼントのセンスに呆れただの、靴下を脱ぎ散らかす癖や剃ったヒゲが洗面台に残っているのを見るたびに吐き気がするだのと、男性の悪口を挙げ列ね、最後には、大嫌いだ、もうあなたとは共にいても長続きしない、この手紙を機に別れよう、と締めくくられていた。
読みながら、僕は隣にいる彼女との2ヶ月前の大げんかで言われた罵り文句を思い出し、胃がきりりと締め付けられた。過去の小さなうっぷんをたんまり蓄積させて煉り固めて泥だんごのようにぶつけられるのは、このカップルでも同じらしい。「あのときは『ありがとう』と笑ってたじゃないか、あの笑顔は嘘だったのか」と、言われたこちらは過去の彼女の好意的態度の全てが嘘だったのではないかと不信に陥る、あの恐ろしい泥だんごだ。
対して男性の手紙は、なんとも胸を打つラブレターだった。
自分はこれまで相手に様々な迷惑をかけたであろうこと、自分の鈍感さのせいでずいぶんな我慢や失望をさせてしまっているであろうことを詫びた上で、それでも自分が人生を共にできる相手は他にいないと思っている、もしどうしても自分と別れたいというのであればそれは仕方がないが、もし少しでも希望があるなら、ぜひ自分とこれからも一緒に歩んでくれないか——という、控えめだが誠実で情熱的な内容であった。手紙の最後は『このタイムカプセルを一緒に掘り直す日までに、少しでもあなたの期待する立派な男になって、立派な指輪を準備します。』とプロポーズの予告としか思えない一文で締めくくられており、それが一層、女性のラブのないレターを読んだ時の彼の絶望感を想わせて、僕は名も顔も知らない赤の他人ながらつらくて仕方がないのだった。


そんな僕の思いをよそに、彼女が「おかしい」と言うのは、この男性の手紙に対してなのだった。
「だってこれ、まるでこの人、女性側の手紙の内容を予め知っていたみたいだわ」
「そうかな」
「そうよ。だいたい、自分が鈍感なせいで女性の期待に応えれてないってことに、鈍感な男が気づいて詫びれるはずないわ」
僕の胃がまたきゅっと絞まる。
「きっと、この男の人は、女の人の手紙を読んで、その返事を書いてるのよ」
「返事を書いてるなんて、それこそおかしくないかい。タイムカプセルは、ひと時に埋めて、ひと時に掘り返すものなのに」
「じゃあ、この瓶がもしかすると、ポスト代わりなのかも。お互いに、手紙の返事をこのカプセルに入れるようにしてるのよ」
「だとしたら、2通ともが同時に入ってるのは変だよ。相手の手紙を持ち帰って、返事を書いてカプセルに入れるんだから、カプセルには常に1通しか手紙がないはずだ」
「でも、それじゃこの男の人の書き方に説明がつかないわ」
言われれば確かに、まるでこの男性は女性の辛辣な手紙を読んだ上で、それでも彼女を愛する己の気持ちをしたためたように見えてくるのだった。第一、同じ男として、あれくらいの鞭を打たれないとここまで思慮の深く決意の固い手紙なんて書けそうにないのだ。この男性は、よほど傷つき、彼女と別れるべきかと思い悩んだ末、それを乗り越えて結婚する決意をしたに違いない。
「でもそれを言うなら、女性の手紙だって変だ。これじゃまるで…」
「まるで?」
言いかけたところで、これはまずいと気づき言い淀んだのを、彼女は見落とさなかった。
「まるで…。けんかの勢いで言ってるみたいな…」
「どういうこと?」
「いや、時々、怒った勢いで、溜まってた恨み言を一気に言ってしまう時があるだろう? そんな調子に近くないかな」
彼女は黙って僕の言葉を噛み締めるように見る。その沈黙の恐怖に、僕は世界一小さな生き物のように肩を縮める。
「とにかく、タイムカプセルを埋める手紙を書こうと、冷静に机の前に座って書いたもののようには見えないよ」
「そうね。生理前のイライラ期によくある発作に似てるのは、確かね」
彼女が頷いてくれたことに一旦はほっとする。
「とにかく、男側の手紙の最後にはっきりと『タイムカプセル』と書いてあるんだし、二人が決まった日時に掘り返すためにお互いの気持ちをしたためたことに違いはないはずだよ」
僕の言葉を聞いてか聞かずか、彼女は神妙な顔で考え事をしている。
「ねえ、このタイムカプセルを掘り返して、この二人はどうなると思う?」
「え?」
「二人の、『その日』が来た時に、並んでお互いの手紙を読んで、この二人は、どうなると思う?」
「どうって…女性にその気があるなら結婚するかもしれないし、その気がなければ別れるかもしれない」
「きっと結婚するわよ。こんなロマンチックな手紙を読んじゃったら」
「じゃあ、そうかもしれないね。ハッピーエンドだ」
「だめよ。全然ハッピーじゃないわ」
彼女は例の、女心が分かってないんだから、という呆れ顔を僕に向けた。これを見るたびに僕は「しくじった」と思うのだが、何度そう思ったって学習しないのだから、最近ではもう女心など分からないものだから仕方ない、×をもらって正解を聞くのが早道なのだと思うようにしている。
「あのね、この二人はきっと結婚して、きっとたくさんの友達を呼んで結婚式を開いて、そしてきっと気の利いた友達の一人がプロポーズのきっかけになったタイムカプセルの話を持ち出して、おもしろおかしく余興の暴露話になんかしてしまうの」
「そうかもしれないね」
「男の人はいいわよ、自分が人生で書いた最もロマンチックなラブレターが披露されるだけなんだから」
ちっともいいわけがない、と僕は思った。
「女の人はかわいそうだわ。一時の勢いに任せて書いてしまった彼への恨みつらみを、人生で最高の日に、まるで自分の本心だったみたいに周りに暴露されてしまうんだから。もしかしたら彼のご親族だって、お姑さんだっているかもしれないのに」
「笑いは取れると思うけど」
「だめよ。きっと彼女は一生後悔する。あの時あんな手紙を書かなければ良かった、って。私も愛情たっぷりのラブレターを彼に書いてあげたかったって」
「そういうもんなのかな」
「そうよ。このままじゃだめだわ」
ここで僕の名前が脳裏に凛然と輝く。そうだ、譲るのだ。
「きっと君の言う通りだね。じゃあ、どうしようか」
「手紙を書き換えましょう」
彼女の提案の意味を理解するのに僕は数秒かかった。手紙という最もプライベートなものを偶然とはいえ掘り当てて読んでしまっただけでも罪深い僕たちが、その上、この二人の想いを書き換えてしまうというのか。
「それはいくらなんでも、まずいんじゃないかな」
「ばれないようにすれば大丈夫じゃない?」
「筆跡で簡単に分かると思うけど」
「いまどきお互いの筆跡なんてそうそう見る機会はないわよ。真似して書けばきっと大丈夫」
「書いた本人が、こんなの書いた覚えはないってことくらい分かるじゃないか」
「自分が書いたのよりも良い内容で、良い結果につながったら、きっと黙ってると思うわ」
「二人の思い出のエピソードとか、きっと微妙にずれてきて辻褄が合わなくなる」
「だからエピソード語りはなし。シンプルに、お互いの愛だけを刻むのよ」
「そんなにうまくいくかなぁ」
「大丈夫よ。だいたい、この手紙もこんなに泥だらけにしちゃったんだし、このまま埋め戻す訳にいかないじゃない。私たちが読んだことがばれちゃう」
だから最初から僕は、手紙を読むことに反対だったのだ。


「心配しないで。この二人はきっと幸せになる。私たちも、その幸せのきっかけの一部になれるとしたら、素敵じゃない?」
彼女が笑うとどうしてか、その通りかもしれないし全てうまくいくかもしれない、と心強く思ってしまうのは何故なのだろうか。
そういえば僕が彼女にプロポーズをしたのも、この心強い魔法のおかげだったな、と2年前のことを僕は思い出した。

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