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【社会学#9】結婚式の魔力

個人的なことだが、このところ周囲が結婚ラッシュである。

 
結婚とはなんとまぁけったいな制度である。
何億人という人の中からたった1人をこれと決めて、やれ婚姻だ挙式だと通過儀礼を積み重ね、また周囲も知り合いとはいえ赤の他人のごく個人的なライフイベントに巻き込まれる。
その先には必ずしも(ほとんどの場合?)毎日が光り輝く幸せな日々が待っているのでもなく、むしろ地獄と喩えられることの方が多いのが結婚である。
結婚の皮肉をまとめたこんなページを見ると、なぜこんなに人は結婚するのだろうと思う。
地獄の日々が始まる悲惨なライフイベントを、どうしてこうも大々的に人は祝うのか。
そこにはある種の狂気と洗脳があるとしか思えないのである。
 
「儀式」という慣習は、人間社会の発展のために欠かせないものである。
結婚式でケーキを切ることも、卒業式で「旅立ちの日に」(ひと昔前なら「仰げば尊し」か)を歌うことも、還暦祝いに赤いちゃんちゃんこを着ることも、またキリスト教の洗礼や仏教で頭を丸めることも、
どうしてこんな面倒なことをいちいちするかというと、「この社会」を守るためーーもっと言えば、権力者がその権力を維持し、市民が同じ価値観のもと同じようなレールを歩み、下の者が上の者に憧れ敬いその地位を脅かさず、総じて人々がなんとなく安心して暮らすためである。
 
その「儀式」に決まりごとが多ければ多いほど、準備や実施が面倒事であればあるほど、その慣習は神聖になりより若き者たちの憧れの対象になる。
 
白無垢を参列者の禁色としたり、ただ飲みたくてシャンパンを注ぐのに「泡が弾ける音は天使の祝福だ」と言ってみたり、出席者に茶菓子を振る舞う礼儀を「幸せのお裾分け」と呼んでみたり、
それは全て、この七面倒くさい「儀式」に意義と物語を与え、参列者たちが「結婚とはなんと幸せなものか、いつか自分も」と思えるための舞台演出の装置なのだ。
 
たとえどんなに結婚生活が不幸なものであっても、未婚者たちが「結婚」に憧れて自分もその仲間に入ろうと夢を抱くためのプレゼンテーション。
「結婚」を徹底的に美化することで、既婚者を増やし、国民を増やし、国家を反映させる。
そのためにも「結婚式」はとことんまで人生の絶頂を演出する。
「ここは夢の世界だよ、さあおいで。」
ディズニーランドで手招きするミッキーのようなものである。
 
ただし両者が異なるのは、ディズニーランドは1日で抜け出すものだが、結婚生活は一生抜け出せない夢の国であるということである。