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ho - jun

芳醇/豊潤 ・ 小説と漫画創作 ・ 本と映画レビュー ・ 初心者社会学

【社会学#7】女の生き方〜母・娘・祖母3世代の母親像〜

ずいぶん売れているようだったので読んでみた、「家族という病」。

家族という病 (幻冬舎新書)

家族という病 (幻冬舎新書)

 

先に個人的な感想を述べると、

ずいぶんと頭ごなしに自分の生き方以外を断じる人だな、と感じた。

肉親を否定してキャリアを築き、自分が個人として生きていくことを正しいと信じて、更にその思想を書籍化して他者にも流布する、その信念の強さの裏に、そう堅く信じなければいけない危うさやトラウマやコンプレックスが垣間見える。

要は言葉を選ばなければ「ま〜た人生の先輩の昔話と説教か」という感じなのだが、そう思えてしまうこと自体が、時代に翻弄される女性の人生の、3世代に渡る受難なのだろうと思う。

 

いま「ベテラン」として仕事をしている女性は、「女性の社会進出」を国が打ち出した当初に、前例もない中で模索しながら女性として働く道を選んだ人たちであろう。

男性社会の慣例による理不尽や差別に屈することなく、多くの女性が選ぶ「寿退社」という流れにも乗らず、自分の母親に倣って「家庭に入る」でもなく、ロールモデルがいない中でどうにか自分の生き方・働き方・家族との関わり方を造り上げてきた。

自分の親から学ぶこともできず、共感できる先輩も少ない中で自らの道を拓いてきた彼女たちの苦労は計り知れない。

彼女たちは、自分たちの母親たちが当然の勤めとして果たしていた結婚・出産・家事・育児・介護といった定型ルートに対して少なからず異なる見方をして、少なからず異なる道を選択してきたのだ。ともすればそれは、その生き方によって自らの親の人生を否定しかねない選択だったかもしれない。強い信念がなければできないことだろう。

彼女たちがその苦難を乗り越えてきてくれたおかげで、国の思惑通り女性の雇用拡大は広がり、女子学生が正社員として就職活動をするのも当たり前になった。

 

しかし最近では、若い女性の「専業主婦願望」が再燃していると聞く。

「若い女性」とはつまり、前例なき「キャリアウーマン」を試行錯誤して体現してきた女性たちの、娘に当たる世代である。その娘たちは、自分の母親が父親並みと言わずとも外であくせく働く背中を見て育ち、一方で、家庭を守り、家族の衣食住の世話を焼き、家族の幸せも不幸もまるで自分のことのように感じ入り、いつでも家族のそばにいて愛情をくれる祖母を見て育っている。

ふたつの相反する「母親像」を見て、その家庭の中で親の庇護を求め自己を形成していった娘たちにとって、「理想の母親」とは、「自分がなりたい母親」とはなんだっただろうか。

「外の世界で戦う強さ」と、「いつでも家族に変わらぬ愛情を注ぐ母性」。幼少期の自分は、母親のどんな姿を見ていたか、見ていたかったか。

 

もちろん、「男女雇用機会均等」が突如始まり、白紙から女として・母としての生き方を必死に模索してきた母親たちが、仕事と家庭に満足のいく手当てができようはずもない。理解もなければマニュアルもない環境で、そこまでこなすことを誰も彼女たちに求められるはずない。

更にその苦労の末を「人生の先輩」として仰ぎ見た娘の世代が、「仮に働き続けたとしても、そこまでの苦労はせずに家庭と両立したい」「両立が難しいならいっそ専業主婦になりたい」と考えるとしても、これまた無理もない話なのだ。

更に更に、我が娘が自分とは全く違う人生を選び、全く違う価値軸をもち、全く違う子育てなり家族との関わりをするのを見る祖母世代もまた、「母として」自分が何を娘にしてやれるのか、娘の生き方とはなんなのか・自分の生き方とはなんだったのかを問い直し、頭を抱えていてもおかしくないのだ。

 

本来であれば、母親世代の学びから、更に働き方の多様性や女性雇用環境の改善をドライブしていかなければならないはずであるし、実際に各企業がその努力をしているだろうと思う。

しかし若い女性たちがそこに「女として、母として、そして職業人としての幸せ」をイメージできない限り、波が堤防に砕けて引いていくように、「新時代的な母親像」の夢は終息していくだろう。

 

3世代の女性たちは、自分の「幸せ」とは何か、過去のマニュアルが役に立たない世界で他の女性たちを見ながら探り続けている。

そんな女性たちにとって、この本の作者が掲げる徹底的なキャリアウーマン的思想は、「参考書」にはなりえても「教科書」とすることは難しそうだ。