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【社会学#4】小市民の復権

使っていたiPhoneが水没で故障した時、私は絶望的な思いで修理屋へ向かった。

結局そのiPhoneはもう息を吹き返すことはなく、

他人行儀な新しいiPhoneを持ち帰り、家のパソコンにつないだ途端

iCloudが全ての私のデータを復活させてくれて、そのiPhoneは外側こそ違えど、まぎれもなく、私がそれまで慣れ親しんできたiPhoneとなった。いわば、生まれ変わった。

 

私はその時、それまで新聞で何度読んでもよくわからなかったクラウドコンピューティングというものがどういうことかを一瞬で悟り、

いかにITベンチャーというものが先進的な試みを行っているかを悟り、

とんでもない時代が来た、と遅ればせながら気づいたのだった。

 

もう、私たちはモノに価値を置く必要がなくなった。

携帯もパソコンもただの容れ物で、それ自体には何の価値もなくなった。

これから私たちにとって本当に大切なものは、目に見えず手で掴むこともできない、ナニカなのだ。

(それは、哲学が追い求める「本質」や「真理」と似ている。表層に騙されてはいけない、常に心の目を磨いて、頭脳によって、見極めなければいけないものだ。)

 

そしてその時代の変化は、加速度的に過去の常識を捨てていってしまった。

 

時間資本主義の到来: あなたの時間価値はどこまで高められるか?

時間資本主義の到来: あなたの時間価値はどこまで高められるか?

 

 

私たちが住む社会は、

おもしろくない時間を短縮して、豊かな時間を過ごす時代になっている。

都心の地価の変化やシェアハウスで有益な人といつも近くいられるようになって、郊外に住んで1時間の通勤時間でON/OFFを切り替えることはもう古くなった。

仕事中にLINEをチェックすることができるようになって、まじめに一日8時間、私事を慎み業務に従事することはもう古くなった。

Facebookで暇な人とすぐに集まることができるようになって、堅苦しいアポ取りと殺風景な会議室での議論はもう古くなった。

 

この社会で求められるのは、スピードと、柔軟なクリエイティビティと、

未来のためにガマンしない快楽主義なのだ。

 

もう、若い頃に苦労すれば将来が保証されたかのような年功序列の時代は終わった。

リスクを恐れて社内決済や根回しに翻弄され、ゾウのように遅い大企業の時代は終わった。

これからは、その日一日を楽しむ個々人が、パソコン一台で社会を動かしていく。

これまでのレールで生きてきたクリエイティビティのない人は、その人の元で優秀な事務処理係として従事することになる。

小さきものたちの、復権の時代。

 

同じように、プロフェッショナルの人たちの価値が崩れ落ちた。

お勉強漬けのエリート裁判官と小市民の感覚とのギャップが激しいあまり、裁判員制度が導入され、市民の声が人を裁く力を持った。

3.11で専門家や行政や大企業や研究員が信用を落とし、ネットによる情報自由化のおかげで、市民が自ら専門知識にアクセスする力を持った。

専門知識を持たない、凡人たちの復権の時代。

 

おそらく、これまで日本社会で幅を利かせてきた様々な利権が、すぐに・全てではないが、擦り減ってゆくだろう。

わずかなクリエイティブ能力の高い特殊な人と、多数の凡庸な個々人が、社会をつくりあげていく時代になるだろう。

そこにはこれまでの政治の力はなく、エリートへの憧れはなく、人を縛る律はない。

 

そしてまた、30年後か、50年後、

小さなものたちに社会を任せるわけにはいかない、と誰かが気づいて

時代の揺れ戻しで、大きなものたちの復権の時代が来るだろう。

 

ではこれから50年以上を生きる(予定の)人々は、大きい側と小さい側と、どちらにいればいいのか。

おそらく、その時々の流れにあわせて、大きくなったり小さくなったりできる人間が、「昔は良かった」なんて哀しい言葉をこぼさずに済むのだろう。