旅するトナカイ

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海辺のカフカ

海辺のカフカ〈上〉

海辺のカフカ〈上〉


社会学の権威・見田宗介氏によれば、近代以降は「やさしさ」の時代。
それを象徴するのが春樹文学の主人公たちだ。
うじうじむやむや、周りに流されるがまま、自分では何もせず何も決断せず、気が付くとさっきと違うところにいる。ぼかあ悪くないんだけどーなんか周りがー。でもまあいいやーまあいいやー。友達イラナイ女の子がイレバ。
…というのが私の中の春樹文学の男性像である(笑)。
どこぞの予備校の数学教師兼ゴーストライターはまさにそれ。


男たちが「やさしく」なると、それと反比例するように女たちは強くなる。(潜在的に秘められていた女の強さが、男たちの衰弱によって顕在化したと言ってもいい。)
ジブリの女たち、おたくアニメのヒロインら、勝間和代…。
かつての「お姫様」たちが立ちあがり、自ら剣をとってへこたれたオウジサマを助けに行く。
どこぞのスポーツインストラクター兼殺し屋はまさにそれ。


私は春樹に詳しくはないけれど、この時期の春樹はまだその「やさしさ」へ移り変わる過渡期だったのかと思う。
かたや、うじうじ自分の生きる意味を考える15歳思春期男子、かたや、世界に変えられ世界を変えるおじちゃん。
男の「やさしさ」と「熱さ」が混在している作品だ。


この時あった「熱さ」を、春樹はどこへ置いてきたのだろう。