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ho - jun

芳醇/豊潤 ・ 小説と漫画創作 ・ 本と映画レビュー ・ 初心者社会学

引退

小説

石井は誰の説得にも応じなかった。周囲は必死で彼を引き留めようとしたが、どんな努力も虚しい徒労に終わった。
彼は唯一、最も親しいチームメイトにだけ理由を話した。
「ゴールが遠いんだ」
チームメイトは周囲にそれを話したが、それを聞いた全ての人間が首を捻った。確かに年はとっていたが、それほど顕著な体力の衰えは表れていなかった。実際、彼は誰よりも努力していた。オフ中のトレーニングは欠かさず、同僚がリフレッシュに海外旅行に出ている間も、彼は毎日練習メニューをこなしていた。


彼の引退が報道されると、多くのファンが悲しみ、その理由を知って疑問符を浮かべた。フィールド上の彼は誰よりも早く走っていたのに。
中野の少年サッカーチームは、彼の引退を最も惜しんだ。石井は中野の出身で、そのチームの誇るべきOBだったからだ。休暇中に中野へ帰ってきた彼が公園で練習する姿を、少年たちは惚れ惚れと眺めていた。彼は合間に熱心に彼らにサッカーを教え、試合を見、それ以外の時には空いているバスケットコートでランニングをしていた。


「もう石井さんが練習するとこ、見られないのかあ」Tは胸が空っぽになりそうなため息を吐いた。少年チームは石井を必ずさん付けで呼んだ。Iが「石井」と呼び捨てにする度、彼はそれを訂正させた。
「残念だなあ」と調子を合わせたIだが、その実さして残念には思っていなかった。バスケ少年の彼は石井を何度も見たことがあったが、強い羨望の眼差しを向けたことは一度もなかった。
「しかも理由が、ゴールが遠いんだって。今でもあんなに速く走ってるのに、どうしちゃったんだろうなあ」
そのコメントについては、Iもテレビで見て知っていた。コメンテイターたちも、Tと同じ感想を口々に言った。
Iは、バスケットコートで何往復も走り込む石井の姿を思い浮かべた。石井の一歩は長かった。引き締まった筋肉の振動、汗に濡れたシャツと、一定のリズムを刻む彼の息遣い。
二人がバスケットコートの横を通りかかると、高校生たちが制服のまま、ゴールの下でボールを取り合っていた。最近はよく年長者がこの場所を陣取っている。公園の改装に伴い、狭かったコートが正規の広さに拡張され、リングも若干高くなったからだ。
ゴールが遠くなった。Iはテレビの中の、目を伏せた石井の顔を思い出した。