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芳醇/豊潤 ・ 小説と漫画創作 ・ 本と映画レビュー ・ 初心者社会学

水の神の死

その場所には未だに「湖」という地名が残っていたが、彼はそこに一滴の水も見たことはなかった。そして、ジジの「昔話」を語るのを聞くたびに、そんなことは信じられないという思いがするのだった。それは違う時代の違う世界の、おとぎ話でしかなかった。
「水というのはな」少年は今でも、ジジの語る口ぶりを鮮明に思い出すことができる。「人を生かし、殺すものだ」
ジジのほとんど開いていない目はいつも濡れていた。
「浪々と流れる水を見て、生き物は喜ぶと同時に恐怖を抱く。白い泡を立てる飛沫は、生命であり、脅威なのだ。大昔から、それこそわたしのずっと先祖の時代から、わたしたちはこの湖を神として畏れ、感謝し、贄を捧げた」
少年の目に浮かぶのは、いつか父に馬で連れられて見た、大河の強大なる流れだった。茶色く濁った水がごうごうと音を立てる様に彼は震え上がった。その河すれすれに、大きな嘴の長い鳥が飛んでいたことがなぜかまだ頭から消えない。
「だがな、湖の神は死んでしまった。その気になれば村のひとつも容易く呑み込んだ湖が、みるみる脆弱になったのだよ」
少年の目の前には、煉瓦色のひび割れた大地が永遠に続いている。その赤と、濃い空色のコントラストはいつも彼を掻き立てた。そこにはおとぎ話の神々の息吹が、地下深く眠っていた。
ジジはこの話をいつも同じことばで締めくくった。「湖の神は、ガイアに負けたのだ」と。