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ho - jun

芳醇/豊潤 ・ 小説と漫画創作 ・ 本と映画レビュー ・ 初心者社会学

木を見る人

小説

「その木があるだろう」
老人は、たいそう背の高い、葉をわさわさとつけた木を目で差しました。
少年もそれに倣って目をやると、その木はすらりと細いけれども、枝のてっぺんは隣のアパアトの屋根よりも高く、寒さにすこし黒ずんだ葉はひとつも散らずに残っていて、枯れ落ちた枝がいくつかまだ元気なものに引っかかって、そのせいもあってふさふさと葉を蓄えているように見えます。
「その木は、幹よりもずっと長い根を生やす。いまに地下の水道管を圧迫して、大変なことになるぞ」
老人は、まるで自分の真下で何が起こっているのかを見通すかのように言ったので、少年ははっとして自分の腰かけるブロックの下を見下ろしました。この他人行儀なコンクリイトの下で繰り広げられる、まんまるい大きな鉄のパイプと、まっ黒に重い幹の、静かなる格闘。
少年はなんだかどきどきしてしまって、老人の顔を見たのですが、老人は開いているのかどうか分からない細い目でまっすぐに前を見ていました。それは、その巨木を見ているようにも、その向こうの青い墨のような空を見ているようにも、はたまたもっとずうっと遠くの、ひとには見えない何かを見ているようにも見えました。
カラスが木の枝へ来て、がさがさと葉を鳴らしました。枝はゆっくりと上下にわうんわうん揺れますが、幹はぴくりとも動きません。じっとしているなあと、少年は思いました。
「そう、おまえのところに、グミの木があるだろう」
少年ははじかれたように振り向いて、こっくんと頷きました。たしかに、少年の家の庭には、古いグミの木がありました。
少年のいまよりももっと幼かった時分には、その木もたわわにグミの実をつけ、まだ手の届かぬ実を母親にとってもらっては口に入れたものでしたが、少年がすっかり枝に届くようになるころには、グミは小さくてしおれた実しかつけなくなっていました。加えて、それは決まって残らずすっぱかったので、すっかり少年はグミの実をとるのをやめてしまい、同じように鳥たちもつつかなくなったので、ここ2,3年、グミの実はただ茶色くなって地面に落ちるのを待つばかりとなっていました。
思えばその木のことを思い出すことも長くしていなかったなあと、少年はぼんやり思うのでした。
「あの木はもう、この冬は越せんなァ」
そうだろうかと少年は思いました。しかしやはり、言われればそんなふうに、とりわけこの老人の言うのであれば、いよいよそのようだと少年には思われました。
ああ、どうしてぼくは、最後にも一度あのグミを食べてやらなかったろう。
少年はちくりと、胸に茨の刺さったような気持ちになったのでした。