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ho - jun

芳醇/豊潤 ・ 小説と漫画創作 ・ 本と映画レビュー ・ 初心者社会学

烏の地下都市

「おまえ、鳥の死骸って見たことあるか?」

Tは身を乗り出して、声を低くした。誰も知らない宝物の場所をこっそり話すような口ぶりだ。
ぼくは首を振った。それを見てTは、やはりというようににかっと笑い、身体を少しぼくのほうへずらした。
Tは誰にも聞かせるまいというように身をかがめて話したが、夜の商店街の入り口には、人っ子一人見当たらなかった。遠い間隔で立っている外灯だけがぽつんと顔を垂れて、足元に小さな丸い光の水たまりを作っている。ときどき野良猫が、ひたりひたりと横切って行ったが、彼らさえもぼくらの話には耳も貸さない様子だった。
熱帯夜の空気はじっとりと重く、ぼくたちの話し声も、家々の壁に響く前にぽろりと地面に落ちてそのまま沈んでしまうようだ。首元が湿っていて、ときどきつるりと粒になった汗が流れた。商店街の隅のコンクリートの段差はひんやりとして、お尻が気持ちよかった。


ぽつりぽつりと灯っている家々の窓の明りからは、しかし人の声はひとつもこぼれてこなかった。町全体が深い眠りの底にいた。ただぼくたち二人だけが目を覚ましていて、自由に動き回れるだけ。この同じ町の賑やかな通りでは、今頃Tの両親がせっせと働いているはずなのだけれど、それも信じられないくらい人の息遣いが消えていた。
ぼくの両親もきっと深く深い、誰にも妨げられない眠りの中にいるんだ。ぼくが帰って布団にもぐりこむまで決して覚めない眠り。


ぼくのお父さんは、「いわゆるアッチ系のひと」だった。生まれてからずっと引越しの連続だったが、どこに移っても住むのは平屋の小さな壁の薄いアパートで、威勢のいい男の人がしょっちゅう出入りした。その人たちはよくぼくの面倒を見てくれて、ぼくの遊び相手になってくれた。
ぼくには小学校の友達がいたことがなかった。最初はなぜかわからなかったけれど、小学3年生のとき、どうやら同級生たちはみんな親に「あの子とは遊ばないように」と言われていることが分かった。クラスのガキ大将も、ぼくにはちょっかいを出さなかった。
そんなぼくにとって、Tは憧れだった。Tはいつもクラスの中心にいて、みんなに囲まれ、みんなを笑わせた。Tはぼくがなりたくて、けれど絶対になれない存在だった。


そのTと、夜の商店街前で会ったのが1か月前。ぼくは両親が眠ったすきを見計らって、よく夜の町を徘徊した。この町の人は、日が沈むとみんな泥の底に沈んだようになる。その静けさを聴くのが、ぼくはすきだった。
Tの両親は昼も夜も働いていた。あまり豊かではない家庭のようだった。一人ぼっちで部屋で過ごす夜がいやで、Tもぼくと同じことをしていた。そして偶然、ぼくたちは夜の町でお互いを見つけた。それからというもの、毎晩のようにぼくはこの商店街の前に腰かけてTの話をきいたり、走ったり格闘ごっこをしたりした。


ごくり。
ぼくの唾を飲み込む音は、まるで夜が飲みこんだみたいだった。
「おれも、鳥の死骸が落ちてるのは見たことない。おかしいと思わないか? ハトとかカラスとか、あんなにいるのに死骸は滅多に見ないんだぜ」
ぼくは頷いた。日中はやかましいくらいの鳥の鳴き声が、今はぴいとも言わない。鳥たちも眠ってるんだろうか。それとも、眠りよりもっと深いところに沈みこんでしまってるんだろうか。
Tは誰もいない通りをきょろりと見まわして、ことさら声を落として、ついでに唇の前に人差し指を立てた。
「ところがおれ、見ちゃったんだ」
なにを、と促す声がぼくの口からちゃんと出たかどうかは分からない。首筋を汗がたらりと流れていくのを感じた。拭うこともわずらわしかった。
「こないだな、人通りの少ない3丁目の道の隅っこに、カラスの死骸が落ちてたんだ。野良猫に殺されたか、車にひかれたか、とにかく気持ちが悪くってさ。大人に言った方がいいかと思ったんだけど、でもあんなの片づけるの大人もいやだよなぁと思って、しばらく見てたんだ。すると、」
その時のTの眼は、ふつうの人間のそれではなかったと思う。ぼくにはそう見えた。
「吸い込まれていったんだ。カラスの死骸が、地面の中に。ずぶずぶ沈んでいくんだよ、ゆっくり、蟻地獄みたいに。それでそこは、何もなかったみたいな道路に戻ってるんだ。きっとこの地面の下にはさ、そうやって吸い込まれてった鳥の死骸がいっぱい埋ってるんだよ。鳥の死骸の、地下都市になってるんだ」
Tは足元のコンクリートを軽く叩いた。ぼくも思わず地面を見下ろしたけれど、おそろしくて手で触れることはできなかった。足の裏にかけていた体重をとっさに少し軽く浮かせた。
人間が誰も埋めてくれないから、ほかの誰かがそうやって、鳥たちを埋葬しているのだろうか。ふとそんなことを思った。
「きっと、鳥たちの地下都市があるんだ」
Tのその声も、堅い地面や壁には跳ね返らずに、ずぶずぶ、吸い込まれていくようだった。