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ho - jun

芳醇/豊潤 ・ 小説と漫画創作 ・ 本と映画レビュー ・ 初心者社会学

【映画】駆け込み女と駆け出し男 …ハマってしまってヤバイ。

 

駆込み女と駆出し男

駆込み女と駆出し男

 

 

水曜どうでしょう」のファンとしては、大泉洋さんが映画やドラマに出るたびに「よかった、よかった」と親戚のおばさんのような気持ちで腕組みしながら深く何度も頷いてしまう。

親戚のおばさんどころか私は大泉さんよりもひと回り以上も歳下なので、こんなヒヨッコに親戚のおばさんヅラされるいわれは大泉さんの方にはこれっぽっちもないのだが、そういう気持ちになってしまうものは仕方がない。

 

大泉さんが出演する作品はなるべく視聴するようにしているのだが、時に、言葉少なに優しく微笑むお父さん役なんかが当たっていることがあってこれはどうでしょうのあのテンションが好きな私としては大いにいただけない。「しあわせのパン」はその最たる例で、というかこの作品以外に上記に当てはまる例は思い浮かばないのだが、スカした洋さんを眺める2時間のなんとまあむず痒い落ち着かないこと。

しあわせのパン [DVD]

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しかし、昨年公開されたこちらの作品は決して裏切ることはない。

駆け込み女と駆け出し男

駆込み女と駆出し男 予告篇 - YouTube

江戸時代、夫となんとか別れるために鎌倉にある東慶寺に駆け込む、女たちのヒューマンドラマ。

劇場で観たかったのに流してしまって、現在huluにあがっているので意気揚々と再生。結果、huluにして大正解、なぜなら1回だけではだいたいの筋しか分からなくて、セリフやストーリーの細かい芸に気付く余裕がない。

というのもこの作品、時代劇に疎い私が見ても、つとめて当時を忠実に再現していることが分かる。逆に言えば、時代劇に疎い私が現代の感覚で見ると、分かり難い。江戸時代の言葉、町人文化、老中・水野忠邦の政治、お歯黒と剃り眉でキメてる満島ひかりが可愛いのかどうか今の感覚だと微妙、などなど。

1回目観たときにはその辺りがぼんやりついていけなくて、しかし、壮麗な映像と胸を震わせる音楽、役者たちの芯からの演技で「なんか良いものを観た」という手触りは確実に残った。

 

まず惑わされてはいけないのが、「東慶寺に駆け込む女たち…」と言いはするものの舞台は東慶寺ではなく、そのお寺の前で、お寺の仲介役をしている「御用宿」

江戸時代、夫が妻と別れることはできても、妻は夫が承諾してくれなければ勝手には別れられない。もちろん家を逃げ出して誰にも見つからずに生きていく道もあるけれども、現代と同じで、逃げ出すわけにはいかない・逃げたとてすぐに連れ戻されてしまう事情のある人だっている。

そこで、どうしても夫と別れたい・でも別れてもらえない女性は、夕方頃に「買い物に行ってきます」とでも言って江戸の家を出て、一晩かけて鎌倉まで歩き、明け方、東慶寺に「駆け込む」。お金があれば今のタクシー感覚で駕籠に乗ることもできるけれども、夜中の山道を、大の男2人(か4人)が若い女を乗せて運ぶ…男たちに魔が差して襲われたり、ぼったくられたりするかもしれない。夜中に「おや、妻が帰って来ないぞ…さては東慶寺だな」と気付いた夫に追いつかれて連れ戻されるかもしれない。

仮にそのように追いかけられても、東慶寺の門に自分の所有物を何か投げ込めば「駆け込み成就」、追いついた旦那にも連れ戻すことはできなくなる。

 

しかし東慶寺に来たらポンと離縁できるわけではなく、まずは「御用宿」のご主人たちによる事情聴取がある。夫の方も呼び出して事情を聞いて、この宿の主人たちに説得されて和解すれば夫婦は家に帰るし、夫・妻とも一歩も譲らないとったら妻は東慶寺という尼寺に入山。髪を短く切って、毎日精進料理を食べて、御経を唱えたり学問や武芸を積んで、男とも接しない生活を2年間耐え抜けば、夫は強制的に離縁状を書かされて、女性は晴れて独身の身として世間に帰ることができる。

その、事情聴取をする「御用宿」が、洋さんの職場…というか居候先

 

洋さん演じる「信次郎」は、江戸で作家見習い&医者見習いをしていたけど、老中・水野忠邦があまりにも質素倹約を強いて町人たちの娯楽をどんどん取り上げてしまうのが不満で、街中でお役人に文句を言って(そのシーンから映画は始まる)、江戸に居づらくなったので親戚がやっている御用宿で厄介になることに。

その御用宿に、奇しくも洋さんが来たのと同じ日に駆け込んできたのが、戸田恵梨香演じる「じょご」と満島ひかり演じる「お吟」。

戸田恵梨香は、鉄練りの才能に恵まれて鉄工房をしていたけど、有能すぎるあまり工房で立場のない旦那はちっとも働いてくれず別の女のところに入り浸り。働いてくれと頼んでも暴力を振るわれる始末、とうとう決心して東慶寺へ。

一方、満島ひかりは質屋のイケメン旦那の妾。暮らしぶりも良くてイケメンで働き者の旦那にも恵まれたのに、事情があって東慶寺へ。2人は駆け込みに向かう道中で出会い、友情を育んでいく。

 

…と、ここまで理解できたのも映画→小説→映画の順に見たからこそ。

小説を読むと2回目の映画の理解がぐっと深まる。

 

小説の方は、井上ひさしの「東慶寺 花だより」。 映画では「原作」ではなく「原案」と記載がある通り、筋書きはそのままではない。

東慶寺花だより (文春文庫)

東慶寺花だより (文春文庫)

 

御用宿に来た15人分の短編エピソードのオムニバスになっていて、そのうちの5人くらいのエピソードをベースにしつつ再編集したのがこの映画。

 

これを読むと、いかにこの映画が小説を見事に再編集しているかということがよくわかる。

小説の方は1本1本、「この人はなんで駆け込んだんだろう…?」と事情を推理しながら読み進めて、その紐が解けたときに胸打つヒューマンドラマが正体を現す、という短編ミステリーのような読み応え。なので信次郎も知性漂う好青年のムードがある。これはちょっと洋さんではない。

 

しかし映画の方は、信次郎が医者を志しつつも滑稽本でも一発当てたがっているインテリコミカル男子という設定を上手く駆使しつつ、それぞれの駆け込んだ女たちの事情を上手く絡ませ合いながら、爽やかな読後感を与えている。(逆に、先にこの映画を見たからこそ、スパスパっと落ちをつけていく小説の方も「きっと映画のように爽やかに、女性たちが幸せに向かっていくはずだ」と信じてスッキリした気分で本を閉じることができる。)

 

医者の本分である「看る」こと「治す」ことは、どうにか人生を良い方向へと軌道修正しようとする女たちを救う、東慶寺の試みそのもの。そしてその女たちの人生のドラマは、作家としての目で「見る」信次郎によって、鮮やかに語られうるのだ。

 

そして滑稽本作家志願者を主役に置くからこそこだわり抜いた、「言葉」遣いの巧みさもこの映画の魅力。

信次郎が誰かと話すシーンは大抵、うまいこと言う者同士の言葉の応酬で、最初はコロコロ話されて何て言っているのか分からなかったけど、2度目3度目でそのうまいこと言いに「くう〜っ」となってくる。口八丁や軽口がお得意の洋さんのキャラが、なんと新二郎にぴったりなこと。

おぼこい戸田恵梨香は地方訛りで、垢抜けた満島ひかりは気取った言葉使い、というのも、「言葉」がまるで衣装の一つのようにキャラクター説明になってるし、ついでに口下手で信次郎に説得される側だった戸田恵梨香が、一皮剥けて最後には信次郎を言いくるめてしまう、人としての成長を本人の話す「言葉」に表しているのもまた巧い。

 

一方で「言葉」を大切にしている映画だからこそ、現代語訳されていないし、なるべく物事を言葉で説明するので、回想シーンなどビジュアルでの説明が極めて少ない。「言葉」についていけないと理解が追いつかなくなる。(ここ泣くところですよー、とか、今盛り上がってますよー、みたいな分かりやす〜い演出や間の取り方は、この映画には一切ない。)そしてその逆を言えば、「言葉」の芯をしっかり通しているからこそ、その隙間にさっと手を伸ばす音楽とビジュアルがより一層沁みてくる。このテーマ曲の、ジーンと深く荘厳で、かつダイナミックな事。

 

そういう舞台装置は差し置いても、強く生きる女たちそれぞれのドラマに胸打たれることは必至。

私は満島ひかりよりも戸田恵梨香派だったが、それぞれの生き様や、自分の中に通す芯はただただかっこいい。更にその2人の女の友情や、尼寺生活の女子校みたいな(私は女子校に通ったことはないけど)はしゃぐ姿、いじめ、友達の恋バナにこっちまでロマンス気分に浸る様子など、いつの世も女たちはやっぱこうだよねー!という共感も多々あって、江戸時代の一部の限られた事情のある女性たちの話とは思えなくなってくる。

 

そして。全く注目していなかった、陽月華演じる「院代さま」が、かっこいいのなんの!!

 

もう、カリスマ満載。

時代物で言えば「さくらん」で見た菅野美穂も私はカリスマ満載で惚れ込んだ(本当に、映像だけであんなにもオーラを発していたキャラはいないくらい)。それ以降、菅野美穂には注目しているのだけど、まだあの「さくらん」レベルの演技に出会ったことがない。

 

話を陽月華に戻すと、役どころは東慶寺の尼たちを取り仕切る、お寺のトップ「院代さま」。慈愛に溢れているが、肝が座っていて楯つく者には豹変したように喝を入れる。元宝塚スターのよく響く声が、その喝にとんでもない迫力を加えている。そして、魅力ある女にはつきものの「秘密」というものもしっかり抱えているんだから、そら素敵でないわけがない。

お気に入りの院代さまシーンは、部下を叱るときの「2歩すり歩き」と、ヒヨる信次郎への「日傘ツン」。前者は最高にかっこいいし後者はスーパー可愛い。

 

また、この院代さまといい、女たちが言葉のみならず身体でも根性でも知恵でも、男たちを越えて強く生きていく様がたまらない。

クライマックスの戦闘シーン、気が狂って人質をとって暴れる男をどうにか抑えようとする気迫あふれる時間、なんか最近もみたなーと思ったけど多分これは福山雅治の「SCOOP!」だ。

 

 

さてここまで長々書いているけれども、見れば見るほど発見がある映画なので、見れば見るほど語りたいことが増えてしまってまとまらない。

 

そして根気のない私がここまで1作品を深堀できるのも、他でもない大泉さんへの愛情があればこそ。

もちろん戸田恵梨香満島ひかりも良いので、役者がいいかも、って入りでも、綺麗な景色や音楽が好き、って入りでもいいから、まずは映画全体に流れる「気持ちよさ」に身を任せて観てください。そしてもっと細かい細工まで楽しみたいと思えた方には、ぜひ小説を。

なんていうか、過去のどうでしょうで口八丁言ってる大泉さんがより一層愛おしく感じますよ。

【映画】シン・ゴジラ 究極の「もしも〇〇だったら」

引っ越してから隣の駅にトーホーシネマズがあるので、わりとよく観に行くようになった。

一度映画を観ると、予告映像をしこたま見るのでだんだん他の作品も観たくなる。

それを数珠繋ぎ的に繋いでいたけど、これだけは繋がらないだろう…と思っていたのが、シン・ゴジラだった。

 

『シン・ゴジラ』特報2 - YouTube

だってこの予告が、1ミリも良くなさそうなんだもの

すべてのカットにB級感あるし、ほぼゴジラ突っ立ってるだけだし、何より石原さとみが振り返るカットが残念感を煽りすぎ。

さらに私は過去のゴジラ作品も一切見たことがないので、それはもう見る気はなかった。

 

しかし時が経つにつれてあれよあれよとツイッターは「見た、良かった」のコメントで埋め尽くされていき、さすがに無視していられない状況に。

マッドマックスの時はすっかりネタバレやパロディが出尽くした、遅すぎるタイミングで見たために鮮度ゼロの、回転寿司で廃棄寸前のかぴかぴのカニ握りを食べるような状態だったので、今度は旬を逃してはならない、と勇み足で(でもやっぱちょっと期待しちゃいけないと思いながら)レイトショーへ。

 

結果、

見た、良かった。

 

さすが庵野監督、

ひとがワクワクする要素をしっかりと握りながら、かつ人によってはシケる要素をきちんと避けて通っている。

 

描き尽くされたゴジラを2016年に邦画で改めて取り上げることのハードルを、「さんざん焦らした挙句に、観客たちの意表を完全に突く登場シーン」でさらりとかわす序盤。

 

そこから続々と、アニメでさんざん印象的な演出を作ってきた方だからこそ切り拓いた、実写の新たな可能性を目の当たりにする。

 

ただ会議してるだけ、話してるだけ、パソコンとにらめっこしてるだけのシーンを飽きさせないカメラワーク。

 

「目標が報告と違う」

「総理、ご決断を」

「お前が落ち着け」

なんどでも再現したくなる台詞たち。

 

キャラクターたちもいちいちアニメちっくなんだけど、無駄な御涙頂戴や恋愛や家族ものは省いて、ただただ仕事をする職業人たちを描いている。

 

そして、日本とアメリカ、過去と現在をつなぎ、ゴジラ鎮静化のヒントを握る最もキーとなる存在の鮮やかな配置。

 

それを演じる純日本人顔で次期大統領のオーラはお世辞にもあるとは言えない石原さとみ

なぜECCがもっと大々的にタイアップしないのか、不思議でならない。「急なハーフ役のオファーが!そんな時にECC!」みたいな小林製薬みたいなCMが多くの人の頭に流れたに違いない。

 

そしてクライマックス、夢のようなヤシオリ作戦の内容。

鮮やかなる在来線!!! あっぱれ!!!

「なーなー、もしいま東京にゴジラ来たらどうする?」の妄想遊びを、至極真面目に具現化したこの映像は、もうこれが作れたというそのことに拍手を送りたい。

 

人によっては「ゴジラは核廃棄物から生まれた哀しい生き物だ。愚かな人間が生んだゴジラを葬る時の同情と反省が足りない」という評もあったけど、私はこの結末にこそ、その反省が描かれていていいと思った。

近代国家の核廃棄物を食べて育ったゴジラが、その根源たる都市を襲う。

それは国家中枢が、都市が、海という自然に被せたしわ寄せの精算なのだ。

それは「近代都市国家の構造」そのものに精算を迫るものであるから、軍事力が解決できるものであるはずがない。少なくとも、都市を傷つけずにゴジラだけを傷つけるということは、通用しない。

そして人間たちは苦闘の末、都市の力、都市の犠牲によってゴジラに打ち勝ち、そして都市自身が、ゴジラ鎮圧以降もその責任を負い続けなければならなくなる。

私がこの映画が本当に深くてよくできてると思ったのは、なによりもこの、「愚かな人間が生んだ核の生き物」と最終的に人間がどう向き合うのか、向き合わざるをえなくなるのか、の着地点が、薄っぺらいご都合主義なヒーロードラマに終わらなかったことだ。

 

だから作戦遂行後、みんな諸手を挙げて「やったー!」ではなく、いったんの節目を迎えた「安堵のため息」しか出ないのだ。

 

なんだかもう、こんなにエンタテイニングでかつ社会的教訓の深い映画だとは、期待を裏切りすぎである。

私のなかで社会派エンタテイメント映画の権化といえば風の谷のナウシカなのだが、シン・ゴジラはそれに並ぶかもしれない。ビレバンナウシカの漫画全巻セットの手書きポップに「これを読むのは日本国民の義務」というのがあって、ほんそれ!と思っていたけど、これもまた「日本国民の義務」、いや「世界市民の義務」と言いたい。

 

ちなみに私は過去作を知らないけど、ゴジラ作品のファンならさらにグッとくる要素もあるんじゃないかと思う。ファンでなくても、オープニングや音楽は過去のものをそのまま踏襲してるんだな、というのは分かった。

その踏襲がまた、先達たちへの敬礼のような、明確だけど静かなリスペクトを表しているようで、こうやってゴジラを愛する人たちによってゴジラは受け継がれてきたのかな、と厳粛な気持ちになった。

 

我ながら意外なほどに褒めすぎてる気がするけど、ツッコミどころも別にないわけではなくて、

・尻尾って地面につけてバランスとるもんとちゃうの(ましてやあれだけの自重の生き物なら) とか、

自衛隊の命中率よすぎやろ とか、

石原さとみ とか、

あるのはあるけど(特に3点目)、でもそんなことはもう、いいんです。

 

あの在来線のシーンがループで見続けたいぐらい名シーンだったこと、

素晴らしい社会派映画だったこと、

それだけでもう、いいんです。

 

ちなみに作者がそういう社会的なメッセージをこれに込めたかは分からないし、もっというと「安倍政権批判が…」「アメリカへの見解が…」という見方をする人もいるようですが、

基本的には私はやっぱり、無垢な少年の「もしもゴジラが来たら、の妄想遊び」が作品の根底だと思いたい。

核がとかアメリカがとか、上述の社会性とかそういう話は、その妄想の過程で語られた枝葉にすぎない、と。それらは教訓ではあっても、主題ではない。

 

妄想を具現化する。

 

それこそ、実写映画の根本の面白さじゃないかと思う。

その面白さに改めて気付かせてくれたシン・ゴジラは、やはり偉大だ。

ズートピア ー ダイバーシティは金のなる木

見てきました。ズートピア。


ちなみにこっちの予告編が一番好きです。

人間のいない、二足歩行する動物たちが暮らす世界。
彼らは動物の本能を制約して、いまの人間と同じように文明を発展させていた。
主人公のウサギのジュディは、世界をより良くする警官になるべく、田舎のニンジン農園を出てニューヨーク的大都会「ズートピア」へ…

アナ雪ほどの社会現象感はないけど、しかしアナ雪よりよっぽどこっちの方が話が良くできてる。
個人の人生観とか幸福観をフィーチャーしていたアナ雪に対して、これは政治汚職や動物種差別など社会派なテーマ。
ピクサー&ディズニーのクリエイターたちの、イマジネーションの豊かさにただただ感心する110分。

人間界と同じように大都会があってスマホがあってジューススタンドがある、けどそれぞれの動物に合わせて商品やサービスがアレンジされている。
そういう装置の数々を見ているだけでも、もうあと2、3時間見ててもいくらい見飽きないのだ。

そしてその装置たちを見ていて感服したのは、やはりダイバーシティが経済を発展させるということ。

大型動物・中型動物・小型動物が乗りやすい電車を作れば、それぞれの動物が鉄道サービスを利用してくれる。
泳ぐ方が速いカバには、降り口に身体乾燥機を設置しておけば水中移動も都市生活も営める。
小さな車にはとうてい乗れないキリンのための背の高い車を作ればキリンも乗れる。

そうして多様な種が経済活動に参加すれば、売れる相手が増えて、売手も儲かる。

人間社会でも同じで、
男女共同参画すれば、男性だけじゃなく女性のリクルートスーツが売れる。女性の可処分所得が増えればサービスがふえる。
ペット同伴可能な店では、ペット分も飲食代が入る。
英語の案内板が多い街には、日本人だけじゃなく外国人も来るようになる。

資源にも能力にも限界があるこの世界で、少ないパイを奪い合わず、パイを広げていくためには
好むと好まざるとに関わらず、ダイバーシティを求めていくしかない。


一見子供向けなディズニー動物の映画でこんなことに思い至れるんだから、「この映画、意外と深いんです。」の売り文句はウソじゃない。この文句自体はどうかと思うけど。

小保方さんの「あの日」を読んで

世間を騒がせた…という言葉はよく聞くけど、私はむしろ「世間が騒いだ」という感覚が近い。

人は誰かと関わり合い支え合いながら生きている限り、世の中を変えるような功績をたった一人の人が成し遂げるなんてことは(その功績が大きいものであればあるほど)ないと思っている。

天下統一も、太閤検地も、郵政民営化facebook繁栄も、たくさんの人が関わって、たくさんの人の手間のうえで実現している(と思う)。ものごとをシンプルにするために、代表者の名前だけが歴史書に残り、功績に対する「誉れ」とそれに伴う「責任」はその人が負うものになっている。でもそこで語られない「その他の多くの人」なしには、きっとそれは実現しえなかっただろう。

何が言いたいかというと、私は小保方さんの騒動をみながら「なんだか気持ち悪いなぁ」と思っていた。

論文はおろか報道の内容も精読していたわけではないが、しかしあんな世の中を揺るがすような大事に対してたった1人が「誉れと責任」を追っているのだろうか? 年功序列と男尊女卑の風潮が残るこの国で、こんな若い女性に全ての権限(とそれに付随する責任)があったのだろうか、彼女を管理監督する責任は誰かになかったのか? 彼女以外の「その他の多くの人」に責任はないのか、むしろ(仮に若い女性がまだまだ活躍しづらいとすると)彼女は「その他の多くの人」ではないのか? ていうか、正直彼女が何をしてようと私たちの日常生活にたいした直接の影響はないんじゃないか?

そんなモヤモヤした気持ちで報道を横目で見ているうちに、その話題もどこかへ消えてメディアは他の話題を取り上げるようになっていた。

 

私はニーチェ「事実は存在しない。解釈だけが存在する」的な考え方の持ち主で、今回の騒動で報道陣からみた「解釈」は聞き飽きたので、小保方さんからみた「解釈」が気になって読んでみた手記。

あの日

あの日

 

 

レビューを見ていると突っ込みどころもいろいろあるのかもしれないけど、その検証には興味はないので…。

読んで思ったのは、やっぱ世の中、政治と人脈か…。

あの本の中の小保方さんはとてもとてもとてもピュアで、研究に対してひたむきで熱心で、科学的証明は裏切らない、と信じていたように感じた。性善説の人なのだな、とも。

世の中には善意と同じくらい悪意も転がっていて、どんなに自分が地道に生きようとしていても周囲が自分を利用しようとしたり、「支援」や「指導」「お世話」の見返りには「奉仕」「恩返し」が求められて、それがドロドロとした人間関係を形成しうる…そういったことを嗅ぎ取って警戒心を持ってうまく流したり、積極的に利用し利用されたりしながら、世間を渡るスキルも人間には必要だ。

きっとあれだけいろんな先生に目をかけられていたということは、優秀な研究者だったのだろう。

そういう優秀な人材ほど、偉い人は政治利用することばかり考えて会社や社会のために最適活用できない…というのは多くの組織のジレンマだと思う。

真面目で責任感のある人ほど入社してから鬱になりやすい、というのもこのケースに近い。でも人事は真面目で責任感のある人を採用したがる。採用したあとで持前の真面目さを発揮すると「もう少しうまくやってくれればいいのに…」と周りは引いた目で見たりする。

 

私もどちらかというと、生真面目で、心の襞というものに鈍感な方なので、ただでさえ生きづらいなぁと思うことは多い。小保方さんの姿を見て、この手記を読んで、他人ごとではないな、と思った。

最近のトイレ居心地良すぎ

大阪を歩いていたら、急に雨が降ってきました。
通りを歩く人はこぞって店内へ逃げ込みます。カフェはどこも行列をなしています。
こういうとき、披露宴帰りで荷物の多いひとり客は心苦しい。

スタバがあまりにも混み合っていたので、アーバンリサーチのカフェに避難して参りました。

しかしあれですね。
こういうセレクトショップ併設のカフェとかうっかり入ってしまうと、トイレがあるのか不安になってしまうんですね。

ストレスが尿意に表れやすいタチなので、トイレにいけないかもと思ったらたいした水分もとってないのにいきたくなってしまう。
鼻が詰まったらたいして酸素不足でもないのにぜえはあしてしまうのに似てるかもしれません。違うか。

逆に、トイレに入ると心地が良すぎてなかなか出てこれない。家のトイレでも中で本読んだりゲームしたりする方なのですが、たぶんそのトイレいけないかもストレスが極端に緩和されて、解放感から離れられないのかもしれません。

 

それに拍車をかけるのが、最近の外のトイレ。
昨今の商業ビルの女性トイレって、キレイすぎやしませんか。
温水便座は標準装備されているし、いつも清潔感があふれ、暖色系の照明でリラックス効果も抜群。

すると必然的に、トイレ目的でビルに来る客も増えて、テナントはどうかわかりませんがトイレはつねに大盛況大行列だったりするわけです。

おそらくは単にトイレ利用者の数が増えただけではなく、居心地良さのあまりひとりひとりの個室滞在時間も、長くなってると思うんですよ。
だって映画館のトイレって2個くらいしか個室なくて、それでもそこまで混雑せず回ってるけど、商業ビルは個室10個もあるのに全然足りないじゃないですか。

そうすると、ガチでトイレを必要としている人にとっては由々しき問題なわけです。ガチでトイレを必要としている人とはどういう人のことか、そこは文脈から察してください。

またビルのテナントにとっても、同じ1時間のフロア滞在時間のうち、3分5分トイレに使われるより店内を見て回って欲しいわけです。

キレイなトイレは、利用客たちの居心地を高めるあまり、同時に多くの人を困らせてもいるのです。

思うに、社会悪とも言うべきその居心地の良さは、洋式トイレの普及によるところも大きいでしょう。

やはり人間、座りやすい椅子に座りたい。
いちど座ったら、そこでゆっくり落ち着きたい。
すると自然と個室滞在時間は伸びていき、行列が絶えなくなる。

若くて元気な女性たちがトイレに長々と居座ってしまう。

それによる経済的な損失たるや、計り知れません。

たとえば、どこぞの美容関係者に「和式トイレの方が内臓ストレスがなく美容にいい」とかそういう話を流布してもらえれば、女性陣はこぞって和式を選び、すると洋式ほどゆったり座っていられないので個室回転率も上がるのではないでしょうか。

ちなみに和式トイレの良さは、こちらのブッとび動画が教えてくれている通りです。

まぁもちろん和式は和式で、腰痛いと辛いとか、もの落とすのが怖くて気が気じゃないとか、外国人が使い方まちがえちゃうとか、いろいろ改善点は多いんですけど。

経産省のみなさま、ぜひいちどご検討を。